騎士団医療報告
医療日誌
担当医 M・マイルズ・オブライエン
六の月、16日目、
本日の診察
腹痛1名(前日に食べ過ぎた為)
打ち身43名(鍛錬による打撲。半数がレオニス・クレベール大尉との手合わせによるもの)
裂傷2名
擦傷7名
火傷1名(部外者)
(裂傷、擦傷、に関しては、備考に記す)
「よ、マイルズ。ひっさしぶりだなぁ」
肩にポンと手が置かれ、すぐ耳元で能天気な声が踊る。
溜め息が出た。
声の源と、自分の顔の間に本を突き入れる。
「ぶっ?!」
案の定、咄嗟に振り向けば接触事故が用意されていたらしい。何事にも用心は必要だ。長年培った勘に感謝をしよう。
そのまま本で肩の手を叩き落とし、半歩離れてから片手を振っている魔導士に向き直る。
「相変わらず懲りないお人ですね、シオン」
呆れた声が出るのは、毎度のことだ。
私の返事を受け、容貌、言動、性格共に役職と相反する男は、にやりと笑ってきた。
「お前さんも、相変わらずだな」
「おかげさまで」
不毛な会話を続ける気は無い。そのまま踵を返し、職場に戻るべく歩き出す。しかし、この男はすんなりと解放してくれる気は無いらしい。
「ちょいまち。いつもながら愛想がねぇなぁ、少し位話そうぜ」
私と彼とで、一体何の話があるというのだ?まあいい、この男の気まぐれは、今に始まった事ではない。
「それで?なんのお話ですか?」
元のように向き直り、魔導士の顔を見る。
彼との身長差は極僅かである。
故に、ほとんどの人が見上げなければならない筆頭魔導士の顔を、真正面から見ることができる。
「んな、木で鼻を括ったみたいな言い方すんなって。綺麗な顔が台無しだぜ。ここで逢ったのも何かの縁だ、日がな一日、こんな汗臭いところで燻っていないで、たまには呑みにでも行こうぜ」
彼が唐突なのは、前々から理解はしている。しかし、やっと昼になろうかと言う、こんな時間に、どこの酒場が開いていると言うのだろう?
「…まだ昼前ですよ」
呆れて言い返すと、蒼髪の魔導士は、ひらひらと手を振って見せる。
「俺の顔パスで、奥で酒飲ませてくれる店があるぜ。なんだったら俺の部屋でもいい。良い酒が入ってるんだ」
深い深い溜め息を吐く。
この男は、まったく変わっていない。そう、こんな殊更巫山戯た態度の時に、まともに話せると、思うのが間違っているのだ。
もう結構。からかわれるのは沢山だ。
「そんな人外魔境に行く気はありません。職場に戻って、消毒用のアルコールでも飲んだ方がマシです。では失礼」
再び踵を返すが、再び引き止められる。
「待てっつってるだろ〜がよ。ったく…何が人外魔境だ」
「まだ用があるのですか?」
苛立ちもあらわ顕に、睨みつけると、筆頭魔導士は悲しげに首を振った。
「攣れねぇなぁ…昔は一緒に王都中の飲み屋や酒場を制覇する、つー偉業を成し遂げた仲間じゃね〜か」
「偉業が親にばれて、夜間外出禁止を二年も喰らったので考え直したのです」
まったく…あの晩の事は思い出したくも無い。
「以来八年。貴方との付き合いは、未だに禁止されていますので、これにて失礼」
三度目の正直だ。
なんとしても、私は職場に帰る。
大体今日は日差しがきつい。炎天下で立ち話をする趣味は無い。
しかし、歩き出した私の後ろから、魔導士がのこのことついてくる。
「しつこいですよシオン、私は貴方と話などしたくないと言っているのです」
「まあまあ、実はレオニスに用事があるんだよ。んで、お前さんにもちょいと聞きたい事があってな。酒の話は前振りって奴だ、でも考えてくれるんなら、一緒に行こうぜ」
あくまでも軽い口調。…こんな男が宮廷の筆頭魔導士とは、世の中何か間違っている。
「前振りには聞こえませんね、大体貴方は私を、女性を引っ掛ける小道具にしていたでしょう?」
「そりゃぁな、お前さんと俺が並んでいると、面白いように寄って来るからな」
「どこが良いんだか…」
「自覚ねぇな。タッパは俺とほとんど同じ、体つきは優美で細身。氷結の蒼い瞳に髪は天下る銀糸で、氷を刻んだ顔に、時折浮かぶ微笑が、女心を蕩かせるってな。俺が言ってるんじゃないぜ。この間偶然お前さんを見たっていう、女官が騒いでいたんだ」
この男は…人が一番気にしている事を…
「判りました…何のお話かは知りませんが、診察室へ行きましょう」
「お?聞いてくれるのかい?」
「ええ、でも、その前に、貴方の脳に巣食っている病巣を取り除きます」
「げ!?」
魔導士が業とらしくうろたえてみせる。
「待て、マイルズ。落ち着け」
そう言いながら、何か期待しているようなので、懐から携帯している小刀を取り出す。刃先の小さい、先端をよく磨いである自慢の品だ。
「ご安心を、私も医者です。キール殿程ではありませんが、治癒魔法で止血と痛み止めはしてあげます」
初夏の日差しに小刀が光る。やはりこれを持つと、医者の血が騒ぐものだ。にやりと笑みが浮かぶのを自覚する。
「すぐに済みますよ。貴方の場合、半分くらい切り取れば、大人しくなって、周りも安心するでしょう。人助けです」
一歩前へ出ると、今度は魔導士が下がる。流石に冗談ではないと察知したらしく、目から巫山戯た色が消えた。
「ちょいまちっ。考え直せ。友達を殺す気か!?」
「院の同期などという腐れ縁も、これで終わりです。せいせいしますよ」
そう、私の人生最大の過ちは、魔法研究院で、こんな男に出会った事だ。今ここで、清算するのも悪くない。
本気で、真剣に、シオン・カイナス処理計画を組み立てている横から、脳天を突き抜けるような、のんき暢気な声が飛んできた。
「あっれ〜?シオンにマイルズ先生。ど〜したの?」
声の方を見れば、最近良く見かける焦げ茶の髪の少女が、レオニス大尉や数人の見習達と共に歩いてくるところである。
「よう、嬢ちゃん。い〜とこに来てくれたぜ」
助かったと安堵する響を乗せて、魔導士が軽い口調に戻る。
しかし、何時もの笑みを浮かべる寸前、彼の視線が鋭くレオニスに向けられたのを、目の端で確かに見た。
はて?と違和感が頭を掠める。
あんな視線ははじめてみた。
「嬢ちゃんって呼ぶな!それにしても、二人が並んでるのって、珍しいね〜」
爆竹のような性格の少女は、小気味良く言い返しながら、私達を不思議そうに眺める。そして、私の手に光る小刀を見て、更に首を傾げた。
「マイルズ先生…メスなんか持ってどうしたの?」
「ただの挨拶です」
答えて小刀を専用ケースに仕舞い、懐に戻す。処理計画が実行できなかったのは実に残念だ。
「何が挨拶だよ、毎回毎回殺そうとしやがって」
「人生総てを棒に振る覚悟をさせるのは貴方でしょう?私は、世の為人の為に行動しているんですよ」
私達のやり取りを、見習いたちはあっけにとられたように眺めている。滅多な事では笑いもしない私が、悪名高い筆頭魔導士と軽口の応酬をしているのだから、無理もあるまい。
まったく、この男と居ると、普段の調子を崩される。レオニスまで笑わないで貰いたいものだ。もっとも、彼の場合、笑っている事すら周りの者には判らないようだが…
私以外にも、彼が苦笑しているのを読み取った者が居る。そう、生来かなり聡く、抜け目の無い筆頭魔導士殿だ。
それに、今日はなにやら妙な気がする。
彼の眼底の奥に、私が今まで見た事の無い色合いが見え隠れするのである。
見た目には何時も通りだ、この男がそこまであからさまに内心を曝け出す筈が無い。否応無く、長年付き合わされたこその観察結果で培われた勘である。
私は元々、騒動を望む性質ではない。
しかし、"今まで見た事のない色"をちらつかせた魔導士の視線が、レオニスに向けられているのが引っ掛る。
まあ、今日のレオニスの姿も、"今まで見た事のない"部類に入るのだが…
当たり前の事だが、姿かたちがおかしいのではない。彼の両脇を陣取る三人の人物の所為である。
まず一人目は、茶色の目に、好奇心をいっぱいに溜めた少女。魔法研究院の見習で、確か、メイとか呼ばれる娘だ。奇態な素性と、台風娘と言われるほどの突拍子も無い性格だが、見た目は実に可愛らしい。
二人目はよく知っている。金髪翠眼。シルフィスという名の、最近入隊した、アンヘル族の若者である。見習い騎士として、とりあえず男扱いされているが、今のところどちらでもない。特殊な一族の出な為に、周りの偏見とも対抗せねばならない、苦労の多そうな子だ。
私も、医師として、そして独身寮を管理する者として、この子を気にかけている。
三人目には頭を抱えたくなる。
クラインの王女が、こんなにひょいひょい騎士団などに遊びにきて良いものか、野坊主な育ち方をした規格外の姫君だという評判は、私も心から賛成する。
自覚が足りんのだ、この王女は。
しかし、王宮関係者、正確に言えば兄の腹心を目の前にして、多少は気が引けるのか、レオニスの後ろに隠れるようにして立っている。大方、友人のもとに遊びに来て、レオニスに捕まったのだろう。
この後は、王宮に強制送還が決定しているに違いない。
実になんと言うか…両手に花、というか、蕾ばかりの花畑に立つ案山子というか…本当に、あまり見た事が無い姿である。
しかし、これは何時もと正反対の図式だ。
そう、蕾というよりは、しっかり咲いている花をはべらせているのは、常ならばこの魔導士である。
そう考えると、実に面白い光景といえる。
もしや、魔導士の目にちらつく色は、この状態が気に入らないからだろうか?
あまり考えられない…もっと妙齢の女性たちならいざ知らず、この年齢では、彼の管轄をはるかに下回っている。
まあなんにせよ、こんな男の頭の中など、私には預かり知らぬ事だ。
「レオニス殿も来られたので、私は戻ります。後は好きにしてください、シオン」
さっさとこの場から離れよう。
しかし、魔導士は肩を竦める。
「冷たいねぇ、マイルズ。俺を捨てていくのか?」
「元々拾った覚えもありませんよ」
うんざりして言い返すと、爆竹娘がけらけらと笑い出した。
「すっご〜い。マイルズ先生が冗談言ってる〜」
好奇心旺盛な少女は、何でも面白がる。この全開の笑顔を見せられては、むかっ腹も立て様がない。
「こんな男の言う事に、真面目に返事をしていたら、身が持たないでしょう?」
私の言葉に、今度は王女がうんうんと大きく頷く。
「マイルズの言う通りですわ」
「だよね〜ね?」
受けて少女がシルフィスに同意を求める。若者は、困ったように頷いた。
「…はい…」
見習達の間に、漣のような忍び笑いが湧き上がった。
魔導士はがっくりと肩を落とす。
「か〜。姫さん嬢ちゃん。そりゃね〜んじゃねえか?お前さん達、俺に偏見持ちすぎだぜ」
「正当な評価ですよ」
思わず苦笑しながら追い討ちをかけてやると、今度は私を見ながら悲しげに首を振る。
「マイルズ。俺がこんなに熱烈にアプローチしているってのに、お前さん冷たすぎるぜ」
また始まった。
「氷で結構。貴方の女友達の恨みは買いたくありません」
「…シオンって…やっぱりその気があったんだ…」
妙な声音に、ギョッとして少女を見ると、王女とともに手を握り合い、全身に鳥肌を立てているような姿がある。
「そうか…やっぱり。変だとは思ってたんだ。だってキールをしょっちゅう構ってるし、アイシュからかうのも楽しそうだし…そうだったんだ…」
ぶつぶつと呟く少女と共に、王女が涙ぐむ。
「ショックですわシオン。お兄様と仲が良いのも、そういうことでしたのね…」
とんでもない飛躍に、全身の力が一気に抜ける。
「…何か誤解していませんか?」
私の訂正も、彼女達の耳には聞こえない。
見習たちもざわざわと騒ぎ出す。なんなんだ、この展開は。
元凶を睨みつけると、参ったなぁなどと肩を竦めつつ、へらへらと笑っている。
相手をしなかった意趣返しか?何処まで性根が腐っている?これは本当に、処理計画を敢行するべきかもしれない。
「シオン様、巫山戯るのも好い加減にして頂きたい。お前たちも大概にしろ。第一、マイルズ先生に失礼だ」
レオニスの鶴の一声に、ざわめきがぴたりと収まる。
低い声音に圧倒されてか、少女も王女も固まっている。
「おいおい、レオニス。俺には失礼じゃね〜のかよ?」
ゆっくりと歩み寄る筆頭魔導士に、レオニスは呆れたように小さく息を吐く。
「ご自分で撒かれた種でしょう?」
「そっか、言われてみればその通りだ。ンじゃ、撒いた種は、自分で回収しますかね」
言いつつ体を屈め、じっと見上げる二人の少女を覗き込む。
「嬢ちゃん姫さん。何誤解してるか判ってるけど、そりゃとんでもね〜間違いだぜ」
ずいと顔を近づけられて、少女が勝気な目を向ける。
「な…なによ変態」
何時もの如き人の悪い笑みを浮かべる魔導士に、私の中で小さく警報が鳴る。
「俺は女が好きだぜ。だから、キールやセイルなんかより、こっちの方が良いな♪」
止める暇はなかった。
体を寄せ合っていた少女たちの間に、魔導士がぐいと顔を近づけ、蒼い頭が左右に揺れる…
「げ!?」
「うきゃっ!」
少女と王女が、それぞれ頬を押えて飛び上がった。
「ま、お子様は範囲外だけどな〜」
楽しげに笑いながら、魔導士がすばやく後ろに下がる。
殺気を込めたレオニスが、ずいと前に踏み出したからだ。王家の姫への暴挙に、剣帯をしていない事を悔んでいるに違いない。
私も残念だ。
「こんのぉ…乙女のほっぺにチューたぁ、やってくれるじゃないの……」
睨み合う魔導士と騎士の、下の方から、低い怒気を漲らせた声が発される。
真っ赤になった少女が、わなわなと振るえながら魔導士を睨みつける。
しかし魔導士は、何処吹く風と受け流す。
「お?他のところが良かったか?」
にやりと笑う姿に、爆竹が破裂した。
「この…変態色惚け魔導士!」
言うが早いか、形の良い足が空を切る。
「おっとと」
避ける魔導士に、少女はますます激昂し、大きく回し蹴りが繰り出される。
「喰らえ!飛燕脚!!」
派手に振り回される足が、どういう結果を生んでいるのか、彼女は判っていないに違いない。
「んもうっ!避けるなぁ!」
足を振り回しながら、少女が怒鳴る。止せば良いのに魔導士が受ける。
「避けた方が、よく見えるからな〜」
「なぬ!?」
そこで初めて現状を把握したらしい。慌てて足を下ろし、スカートを押える。
そうっと仲間を振り返ると、好奇の目を注いでいた見習達が、慌てて目を逸らす。一様に頬が赤くなっていた。
一見変わらぬ素振りのレオニスでさえ、幽かにばつが悪そうな視線を遣す。少女は更に赤くなって俯いた。
大体あんな、足も顕なスカートで、派手な動きをする方が悪い。とは思うのだが、羞恥に身を竦ませる少女が痛々しくはある。よって、皆は、彼女にかける言葉を失っていた。
しかし此処に、懲りないと言う言葉の具現がいる。
「いや〜。目の保養になったぜ」
にまにまと言い放つ暴言に、俯く少女の肩が揺れる。
「おかげさんで、長生きできそうだ。ありがとよ」
ぽんぽんと茶色の頭を撫ぜて、高笑いをする魔導士の手の下で、少女の震えが更に大きくなる。
「…誰の所為だと思ってるのよ…」
地獄の底から響くが如き低い声。これは完全に導火線に火がついたらしい。
「ぜんっぶあんたの所為よ!天誅喰らわしてやる!」
言うが早いか、小さな手が高々と上げられ、詠唱が響く。
「大気に宿る精霊よ。吾れは怒りを胸に秘めし者。汝が体を糧にして、今こそ吾が手に具現せよ!!特大ファイアーボール!」
瞬時に現れた巨大な火球が、魔導士に向けて炸裂した。
備考
錬兵場でのクレーター出現事件に関する負傷者は、ニ名が飛び散った石等で裂傷を負い、七名が、火力の凄まじさに怯んで逃げ出し、転んだ為の擦傷である。
どちらにしても、本人の鍛錬不足である。
なんとなれば、レオニス・クレベール大尉は、私と共に現場の近くに立ち、さらに王女殿下をお護りしながら、掠り傷一つ負ってはいないからである。
見習達の、今後の精進を期待しよう。
渦中の人物である筆頭魔導士殿が、何故にたいした防御結界も張らず、特大ファイアーボールを受け止めたのか、その真意は定かではないが、とりあえず、火傷用の軟膏を処方した。
処方箋に関しては、別記カルテに記す。
以上
言い訳
題名でシルフィスと思った方、外してすみません(。・(エ)・。A
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